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試合前の記念写真を撮った写真を募集しております。
( 試合中の写真でユニフォームが大部分に写っている写真でも構いません )
もし撮られた方で使用しても構わない方いらしましたら、このページで使用させてください。
メールにてお知らせ下さい。 ( jflnews@inter7.jp ) 宜しくお願いいたします。



YKK AP サッカー部   YKK AP
YKKサッカー部の創設は1962年と古いが、実質的な活動は1969年にスタート。当初は富山県リーグで戦っていたが、1975年の北信越リーグ誕生とともに加盟し、昨年までの 26年間、在籍していた。その間、11回の優勝をはじめ、常に上位を占めるなど、北陸の強豪として活躍。一方、昨年の富山国体に向けて、1999年に元日本代表の藤島を監督に迎え強化を図った。それが実り、全国地域リーグ決勝大会に連続出場、JFLへの昇格も果たす。確実に順位も年々上げてきており、2005シーズンでは惜しくも優勝を逃したが、最後まで優勝を争った実力はアマチュアサッカー界のTOPチームの一つと言ってもいい実力だ。「企業スポーツ」のあり方を常に念頭に置き、その目的、意図を踏まえ、アマチュアサッカー界のトップチームを目指す。
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北陸電力サッカー部アローズ北陸   アローズ北陸
「スポーツを通じて企業イメージの向上と地域スポーツへの振興への寄与、職場の活性化を図る」事を目的にアローズ北陸は、1990年に北陸電力株式会社サッカー部として創部され、以来、仕事とスポーツの両立をモットーに活動を続け、96年にアローズ北陸とチーム名を改称した。ALO'S(アローズ)はANTELOPES(英:アンテロープ=カモシカ)からの造語で語源はギリシア語の「花=アントス」と「目=オープス」が結びついたもので「花のように輝いた目」を意味し、カモシカの丸く「輝いた目」を指しています。その「輝いた目」と自然の中で生き抜く力強さをもつ「ANTELOPE」に夢と希望を託しています。93年に北信越サッカーリーグに昇格し7年をもってJFLへの昇格を決めた。第23回全国地域リーグ決勝大会では、他を寄せ付けない全勝優勝でJFL昇格を果たした。2005年シーズンでは、最高の3位の成績を収めまた天皇杯で湘南ベルマーレを破るなど実力をみせつけた。今後も、創部当初の目的、精神を受け継ぎ、アマチュア界のトップを目指す。  ※ 写真は富山の一サッカーファンさんとまっくろさんより
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栃木サッカークラブ   栃木SC
栃木教員サッカークラブとして1953年に創設。以来、常に栃木県を代表するチームとして活躍してきた。67年の栃木県社会人サッカーリーグ結成時から1部リーグに所属。94年にチーム名から教員をはずし、一般の社会人選手にも門戸を開いた。98年には栃木県内のタイトルをほぼ独占、関東社会人サッカー大会で優勝し、92年以来7年ぶりの関東社会人サッカーリーグ復帰を決めると共に、天皇杯全日本選手権大会に初出場そして初勝利もおさめた。99年、関東社会人サッカーリーグでは苦闘の末、最終節で劇的な逆転優勝を果たし、クラブ史上初の関東制覇を成し遂げた。その後の第23回全国地域リーグ決勝大会で堂々の2位に入り、JFL昇格を果たした。2005年シーズンでは、前期で首位をとるなど旋風を起こした。後半バテて順位を落としたが実力をみせつけた。創設時より一貫して、純粋なアマチュアチームとして活動を続け、JFLに所属していることに、大きな意義と誇りを感じている。「創造性豊かなプレーとスピーディーなサッカー」を理想として、JFLでの旋風を起こしたい。又J参入へ向けて今動き始めた所だ。
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本田技研工業株式会社フットボールクラブ   Honda FC
1971年に本田技研工業株式会社サッカー部として創部以来、30年を越える歴史を刻む。1974年に全国社会人サッカー選手権に初優勝を飾り、JSL2部に昇格。1991年にはJSLカップとコニカカップに準優勝し、天皇杯でもベスト4入り。JSL1部での最高順位は3位 (2回)。旧JFLでは1996年、Jリーグ準会員勢を抑えて優勝。1999年からの現JFLでは、横浜FCより上になかなか行けず、2年連続して2位に甘んじたが、第35回全国社会人サッカー選手権では25年ぶり2度目の優勝。21世紀の幕開けとなった2001年に、チーム名をHonda FCに改称。リーグでも優勝を果たし、2連覇している。Honda FCのスーパースター古橋選手のセレッソ移籍より歯車が狂いだし苦汁を飲まされたがチームの実力は誰もが認めるところ。今季も主力宇留野選手の甲府移籍がありチーム力の低下は否めないが、古豪の復活が待たれる。
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佐川急便東京株式会社サッカークラブ   佐川急便東京
1991年に佐川急便サッカー同好会として発足し、当初は主に江東区リーグなどを活動の場としていた。1998年に佐川急便東京支社サッカー部と改称し、大貫監督が指揮をとり始めて新メンバーも数多く加わる様になり翌年、東京都リーグ1部優勝によって関東リーグ入りを達成。その1年目にも見事、優勝を飾った。勢いに乗って臨んだ全国地域リーグ決勝大会も制覇して2001年からのJFL参入を決めた。昇格に際して、佐川急便株式会社サッカークラブと改称したが、佐川急便大阪SCがJFLに昇格したため、チーム名を再び変更。佐川急便株式会社東京サッカークラブとなった。ここ数年は序盤の成績不振が響き優勝争いに絡めないが、コンスタントに実力を発揮すると怖いチームであるのは誰もが認めるところ。チーム力の安定が優勝への条件だ。
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ソニー仙台フットボールクラブ   ソニー仙台
1968年にサッカー同好会として発足し、長く宮城県リーグでプレーしていた。1993年にチーム強化を図り、翌年に県リーグ優勝を果たした事で、東北リーグに昇格。東北リーグでは1995年から3年連続優勝。東北でナンバー1の位置を不動の物にした。その間、全国地域リーグ決勝大会に2年連続出場したが、全国の壁は厚く予選リーグで敗退してしまった。1977年3度目の挑戦を行い、予選、決勝リーグを全勝で勝ち抜き、悲願の優勝を成し遂げた。東北を代表するチームである。  ( AWAY写真はなんとソニー公式サイトより )
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 アルテ高崎   アルテ高崎
1996年、マッキーFCカントウとして創設、2000年より現体制に変更し、 現在に至っており、2001年度途中よりチーム名を「群馬FCフォルトナ」から「群馬FCホリコシ」へと改称しました。2005年が6年目の若いチームで傘下には各年代のチームがそれぞれ活動しています。現在は、J2水戸・甲府のOBを中心にした チーム作りを進め、ユースを除く各カテゴリーにチームを保有するなど、群馬県を ホームとするJリーグチームを目標にして、2003年行われた全国地域リーグ決勝大会では2位の成績をあげ、FC京都1993との入替戦に勝利し、JFL参加を達成した。2006年1月24日にチーム名を「FCホリコシ」から芸術や「見て楽しい(サッカー)」を意味するポルトガル語「アルテ」を使い「アルテ高崎」に変更した。J参入へ向けて邁進しているが、まず体制作りが急務と思われる。 ※ 写真はFCホリコシの写真となります ( いさわ慎太郎さん提供です )
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横河武蔵野フットボールクラブ   横河武蔵野
創部が1939年という、現在のJFLでは最も古い歴史を誇るチーム。1978年に関東リーグへ昇格した後、7年間にわたって所属したが、1986年に東京都リーグに降格する。しばらく低迷状態が続いたが、「アマチュアのトップを目指す」というスローガンのもと、1991年から本格的にチーム強化が始まり、1993年には関東リーグに復帰を果たした。そして、1999年には新JFLに昇格。チームと同じグラウンドでは、幼児から高校生までのサッカースクールが実施されており、Jリーグ並みの組織をもっている。武蔵野地域を代表し、地元に根差したクラブチームの確立を目指している。2002年暮れに企業スポーツからの脱皮を宣言し、地元武蔵野に根付いたクラブチームを目指すため、クラブ化を図り「横河武蔵野FC」となった。ここ数年成績は振るわないが、2005シーズンではHonda FCに連勝、そして一時期2位になるなど上位キラーぶりを発揮した。好不調の波をいかに抑えられるかがポイント。
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佐川急便大阪株式会社サッカークラブ   佐川急便大阪
創立は1965年と古く、1978年に北摂蹴鞠団として大阪リーグ4部に加盟。1989年に体大蹴球団と改称し、現役学生を中心にチームを構成した、全国でもユニークな存在として注目を集めた。1997年には佐川急便SCとして、常に上のリーグを目指すチームとして再スタート。1999年には佐川急便大阪SCと改め、仕事とスポーツの両立を目標に活動中。スローガンである「自分で考え、判断し、行動する」を念頭に、全国地域リーグ決勝大会に優勝してJFL昇格を決めた。企業スポーツとしてアマチュアの最高峰のJFLで活躍する事を目指し、社内に勇気と活力を与えている。ここ数年低迷しているが、今シーズンは巻き返しの年となる。
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佐川印刷SC   佐川印刷
1986年に佐川印刷鰍フスポーツクラブとして発足し、京都府社会人リーグ4部に加盟登録致しました。「仕事とサッカーの両立」をモットーとし、部員は全て正社員として業務に従事しています。1998年にサッカーで関西の大学から有望選手が入社したのをきっかけに先ずは地域リーグ(関西リーグ)を目標に置きチーム作りを行い、2000年に関西リーグに昇格しました。その年の全国社会人サッカー選手権に初出場し、準優勝したことが次のステップへと言うことなり、「アマチュアの最高峰を・・」という目標を掲げ日々トレーニングに励んでいます。
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SC鳥取   SC鳥取
1983年に鳥取県サッカー教員団として結成された。1989年にクラブチームとして再出発し、チーム名をSC鳥取と変更した。このチームを核に構成された鳥取県選抜は、国体優勝など輝かしい成績を誇る。2000年の中国リーグで初優勝、全国地域リーグ決勝大会で4位となり、社会人連盟推薦により、JFLに加盟。昨季は、クラブ史上初の6連勝などもあり、地域の観客を魅了し、観客動員数で上位の座に返り咲いた。また、中学生、レディース、OBチームなど多世代での活動も盛んに行われている。今季からは山陰地方初のJクラブを目指し、より一層地域の誇りとなるチームとして動き出す。
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 流通経済大学体育局サッカー部   流経大
1965年に創部され、関東大学サッカー連盟へ加盟。1998年に関東大学リーグ2部へ昇格。1シーズンで降格したが、2001年に2部復帰を果たし、天皇杯にも初出場。2002年には人工芝グラウンドをつくるなど環境を整えた。関東大学サッカー1部リーグに所属しており、2003年には関東選手権準優勝・総理大臣杯3位・全日本選手権3位など大学サッカー界きってもかなりの実力を有する大学サッカー部。国士舘大学同様、選手の経験・試合機会増を目的とし2005年シーズンよりJFLに参加している。2004年の地域決勝では強豪社会人チームに全くひけをとらない実力を発揮し2位ながらもJFL昇格を果たした。昨季はJFLと関東大学リーグ、総理大臣杯、Iリーグ関東決勝トーナメントなどに挑戦した。大学日本一を目指すとともに、サッカーを通じて精神力の向上、人間形成を目指し、審判活動、コーチ活動など地域貢献による県内のサッカー普及に努めている。
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FC刈谷   FC刈谷
1996年から刈谷市のサッカー文化を大きく引っ張ってきたデンソーサッカー部が昨季でJFL参戦を終了したことを受け、10年間同部の運営にかかわってきたボランティアメンバーが中心となって、市民クラブ化を検討、FC刈谷を立ち上げた。企業中心のスポーツが定着している刈谷市では初めての市民レベルのスポーツクラブで、運営母体は特定非営利活動法人かえるスポーツクラブである。ホームゲーム時に市民参加型のイベントを企画したり、選手、コーチを学校やクラブチームに派遣するなど、市民や地元などと積極的に接点をもつように心掛け、地域に密着した活動を進めようとしている。 ( ※ アウェーの写真はゆっきーままさん提供のものです )
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 ホンダロックサッカー部   ホンダロック
1964年に社内サークル活動の一環として、本田ロック黒潮会サッカー部が創設された。1997年に九州リーグ昇格を果たし、ホンダロックサッカー部と改称。2年後、会社の公式クラブとなり、より強力なバックアップを受ける。その結果、創部40年となる節目の2004年に、悲願の九州リーグ初制覇を達成した。全国地域リーグ決勝大会で3位となり、初挑戦でJFL昇格を決めた。「人間尊重」「喜びの創造」を理念に、宮崎県スポーツ文化向上の一翼を担う。地域密着型で社会的感動を創造し、従業員の起爆剤としての役割、人材育成を目的に、「アマチュア企業スポーツで世界一」を目標にJFL2年目に挑戦する。2005年シーズンは成績で低迷したものの、攻撃力はJFLでも通用することがわかった。今シーズンは守備を安定させて飛躍したい。
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 三菱自動車水島FC   三菱水島FC
昭和21年終戦の翌年「新三菱重工業水島自動車製作所サッカー部」として、勤労者のサッカー好きが集まり活動を開始した。昭和53年に地域リーグへ昇格するが、4年後には県リーグへ降格となった。平成元年再び地域リーグでプレー出来るようになり、平成4年ガンバ大阪と戦えた現実により、大きな夢を抱き続けて現在に至っている。交替勤務をしての夢追いは厳しい物があるが、その分、達成は大きい。平成13年勤労者チームとしての活動が認められ、文部科学大臣表彰を受賞している。2004年に中国リーグで優勝し地域決勝大会でもいかんなく実力を発揮しJFL昇格となった。2005年シーズンは苦汁をなめさせられたシーズンとなったがこれを糧に今シーズンは巻き返したい。 ※写真はゆっきーママさん提供です。
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 FC琉球   FC琉球
2003年2月に「豊かなスポーツ文化、地域に根差したスポーツクラブの構築、県民に愛されるチームづくり」という理念を掲げ、発足。所属選手は、世代別の日本代表歴をもった元Jリーガーから地元出身選手まで多様な顔ぶれ。県3部リーグからのスタートとなった2003年は圧倒的な強さで優勝。2004年は沖縄県からJリーグチーム誕生を願う3万人の署名が後押しとなり、1部リーグへ特別参入。チーム一丸となりリーグ優勝し、九州リーグに昇格。九州リーグで2位となって挑んだ全国地域リーグ決勝大会で優勝し、JFL加盟。地域活動にも力を注ぎながら沖縄県民に愛されるチームを目指す。
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 ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ   ジェフ・クラブ
1995年「市原スポーツクラブ」として発足し、1996年に千葉県社会人リーグ1部に昇格します。2001年にチーム名を「ジェフ市原アマチュア」と変更し、2003年よりKSL2部に昇格。2003年同リーグ3位。2004年はKSLでの貴重な経験を生かし、初の天皇杯出場を果たし、トップチームに2名の選手を昇格も果たしています。2005年はKSL1部に初挑戦となり、堂々の2位という成績を収めました。2005年の全国地域決勝大会で強豪ロッソ熊本を抑え2位の成績でJFL昇格を決めた。アマチュアはJFL、TOPはJ1と言うサッカークラブの究極の形(未来系?)を今季垣間見る事となります。 ※ホームチーム集合写真はdogsさん提供によるものです。
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 ロッソ熊本   ロッソ熊本
以前JFLに参加していた前身のアルエット熊本からロッソ熊本へチーム名を変更し、「真の意味での県民クラブ」として、2007年のJリーグ参入を目指すと共に、熊本初のプロサッカーチームとして、「県民に元気を」「熊本へ活力を」「子供たちへ夢を」をキャッチフレーズに地域に根ざしたクラブ創りをしているのがロッソ熊本です。元J経験者やJFLのチームに所属していた選手などがいます。2005年のkyuリーグではFC琉球と雌雄争いながら優勝を成し遂げたものの、優勝候補筆頭で参加した全国地域決勝大会では3位というギリギリの成績でJFL昇格を決めた。但し集客力や資金などから考えると戦力の補強しだいでJFL上位に食い込む可能性がある。
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Jリーグに加盟 大塚製薬サッカー部   大塚FC
1955年から活動を開始。1970年代には、四国を代表するチームに成長した。会社が本格的なチーム強化の方針を打ち出したのは1988年のこと。その後の活躍は目覚しく、2年後にはJSL2部に昇格。1992年から始まったJFLでも、安定した成績を残してきた。1999年からの新JFLに加盟。同時に旧JFL時代のヴォルティス徳島から大塚製薬サッカー部(大塚FC)と名称を戻し、企業チームへの移行を図った。現在はトップチーム、3クラスあるサッカースクールの活動を軸に、スポーツによる地域貢献を目指し、県内のサッカー普及にも努めている。2003・2004年共、JFLを代表するチームへと成長し2連覇を果たし、2004年暮れに新チーム「徳島ヴォルティス」として新たに出発しJ加盟を果たした。
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 Jリーグに加盟 ザスパ草津   ザスパ草津
サッカー専門学校「東日本サッカーアカデミー」を母体としてチーム結成し、リエゾン草津フットボールクラブと命名される。1995年から97年まで県リーグ4部・3部・2部と優勝する。1999年に東日本サッカーアカデミーより独立、町のクラブチームとして活動を始めるも選手の人数が激減し、一時4人となる。 しかし、元からあるサッカーチーム、草津クラブやその他多くの方たちの協力をえてチームを維持し、セレクションなどを行った結果、集まった25選手で活動した。2002年に元鹿島アントラーズの奥野僚右氏が監督に就任した後、チーム名を「リエゾン草津」から「ザスパ草津」に改名して現在に至る。2003年より関東リーグ2部に昇格し戦い、堂々の優勝の成績を上げ、日本協会の飛び級制度の適用を申請し、第27回全国地域リーグ決勝大会に参加し、ここでも堂々の優勝の成績をあげ、JFL昇格へと至った。JFL昇格した2004シーズンでは安定した成績をあげ3位となりJリーグ加盟を果たした。
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Jリーグに加盟 愛媛FC   愛媛FC
松山サッカークラブとして1970年に創立。愛媛県リーグから、1987年に四国リーグへ昇格した。1995年の株式会社愛媛フットボールクラブ設立に伴い、翌年、名称を愛媛フットボールクラブに変更。JFL昇格を目標に本格的な強化を始めた1998年には、四国リーグで初優勝し、昨年は3連覇を達成。3度目の挑戦となった全国地域リーグ決勝大会では、予選リーグで敗退したが、社会人連盟の推薦を受けて、念願のJFL参入が決まった。これを機に、会社から独立し、名称を愛媛FCに変更。愛媛県出身の選手を中心に編成された県民クラブとして、活動していくことになった。同じ四国の徳島ヴォルティス(前大塚FC)には先を越されたが2005年シーズンで優勝して念願のJ参入を達成した。
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 廃部 ジヤトコサッカー部   ジヤトコ
1972年に創部されたジヤトコ株式会社 (創部当時は日本自動変速機株式会社)サッカー部は静岡県東駿河湾リーグからスタートを切り、静岡県リーグを経て、1982年に東海リーグに昇格した。東海リーグでは強豪チームの一つとして常に上位をキープし、1986年、1987年の連覇をはじめとして4回の優勝という実績を残している。そして、1996年度の全国地域リーグ決勝大会で優勝を果たし、旧JFLへの昇格を実現した。2003年シーズン終了を待って、惜しまれながらジヤトコサッカー部は廃部となった。 ※ 写真は富山の一サッカーファンさんより
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新チームに移管 デンソーサッカー部   デンソー
古くから「サッカーの町」として知られる愛知県刈谷市をホームタウンにもつデンソーサッカー部は創部が1949年、50年の歴史がある。しかし、より高いレベルを狙える実力をつけたのは1989年の東海リーグ昇格がきっかけになっている。旧JFLの昇格は4度目のチャレンジで実現した。1995年の全国地域リーグ決勝大会で全勝優勝を飾り、この大会に出場した4チームのうち外国籍選手のいなかった事もデンソーだけであり、昇格の価値を高めた。2004シーズンは改修工事を行っていたため刈谷が使えず、散々な成績となり最下位となったが2005シーズンは再び刈谷に戻り巻き返しを計る。
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地域リーグへ降格中 FC京都BAMB1993   FC京都1993
かつての京都紫光サッカークラブが1993年、京都パープルサンガへとプロ化へ進む中、1989年からの練習生が中心となり発足。1993年にアマチュアチームとして、京都社会人リーグ4部に加盟。1997年には関西リーグに昇格。 1年目で優勝を飾り全国地域リーグ決勝大会に挑むが、決勝リーグ4位。1999年に再び関西リーグを制覇し、2度目の挑戦は予選リーグで敗退した。だが、全国社会人サッカー連盟の地域推薦を受け、2000年からJFLに加盟したが低迷が続き、2003年に行われた入替戦で群馬FCホリコシに敗戦し関西リーグに降格した。
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JFL脱退 国士舘大学サッカー部   国士舘大学
創部44年を迎える国士舘大サッカー部は1956年に関東大学サッカー連盟に加盟し、同年3部リーグからスタートを切った。大澤監督(現監督)就任以後、着実に実力をつけ、1974年に関東大学リーグ1部に返り咲いて以来、関東大学リーグ8回、関東大学選手権2回、全日本大学選手権3回の優勝を誇る。1982年と1998年には関東大学リーグと全日本大学選手権の2冠、1999年は大学の主要大会中、3冠を獲得した。これまで柱谷哲二をはじめ、J1、J2、JFLへ多くの選手を輩出している。大学勢のJFL参入に道を開いたパイオニアでもある。2004年秋に一部部員による不祥事でJFLを脱退することとなった。  
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